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2018年6月12日 (火)

未来

 

Dsc_3655


この内容は先日、Facebook には投稿しました。

同じ内容を文章になぞるのは辛すぎてやめようと思いましたが

私は インスタやFacebookよりも

このブログを見てくださる方のほうが ずっと多いと思うので書くコトにします。

 

 

・・・

先日、近所の幼稚園で陶芸の先生をしてきました。

家の大学生になった長男が幼稚園に通っている時から続けているので

今年で早15年。

 

制作の仕事が忙しくなり、幼稚園での陶芸の先生は辞めよう、辞めよう、、、

と毎年思いながら退けずに15年。

とっても評判がよくて この幼稚園の恒例の行事にもなっていますし。

 

子供とパパママが一緒になって夢中で陶芸を楽しんでいる姿に癒されて

物作りの原点を感じさせられます。

 

 

 

そんな親子を見守りながら複雑な気持ちに襲われることは、

親の我が子への虐待によって

幼い命がなくなってしまうという事件が絶えないこと。

 

子供を持つ同じ親として、人として耐えられません。

苦しい・・・。心臓がもぎ取られるような苦しさを覚えます。

このニュースを耳にするたび、発狂しそうになります。

 

人は必ず生まれてきた事に意味があり、親には無償の愛で守られるのが当然なのに、

悲しい事件で小さな命をおとさなければならなかった事に

なんの意味があったのだろう。

 

今現在、苦しんでいる子供がいるかもしれない。

回りが気が付いて、何としてでも救い出さねばならない。

密室で起きている事だから、そこに介入するのは本当にデリケートで難しいことだけれど。

 

 

幼稚園児一人一人の反応が本当に愛おしくて、粘土をこねくり回している小さなこの手で

将来、どんな夢を掴むのだろう?と想像し、陶芸が子供達の楽しい思い出の一つになる事で

あるのなら、やはりもう少し幼稚園の粘土の先生を続けようかな。

と思う今日このごろ。

 


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